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春うらら

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こちらは例年になく、雪が少なくて、いつもは雪のお布団に守られている
植物たちのことが心配です。
とはいっても、農業を専門になさっている方たちの方がもっと
深刻でしょう。土の中に保存している越冬野菜はどうなってるんだろうか・・と思います。

外は寒くても、日差しは少しずつ明るくなり、
私もだんだんにいつもの自分に戻りつつあります。
仕事でいやおうなく進級関連のしなくてはいけないことが始まっています。

そして、母のことで、しなくてはならないこと。したいこと。
親戚、お友達、交流のあったかたたちとのご挨拶の手紙を半分、書き上げました。
昨日の日曜はそれにかかりきり。これを終えないと、自分の青色申告準備ができない。
人生は別れ方が重要、いつのまにか年を経てそういうことがわかってきました。
母のこの俳句を書いて、告別式の写真コピーを貼って、今までの感謝の言葉を述べて。
母の残してくれた便せんがいっぱいあるので、久しぶりの自筆の手紙です。
家族葬だったので、いらしていただけなかった分、ていねいにお別れをしたい。

   好きな道 好きに歩いて 春うらら

こんな軽やかな俳句を残してくれた母に、ありがとう。

私の中に母がいる

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今日は、今年最初のボイストレーニングの日でした。
「オンブラマイフ」を歌っています。先生に母のことを話しました。
前のレッスン中に、病院から緊急の知らせが入っていたので気にしてくださってました。
今は、ほぼ毎日ジムに通っているし、声楽の練習もどこか必死で、
体を動かすことによって、ふわふわ漂っている自分の気持ちをつなぎとめておく、という感じです。

それでも、時間は進み、様々な手続きの方も進んで、
今日は年金事務所で、母の年金証書を返してきました。
少しずつ、母が生きていた形跡がなくなっていく。
手続きが進めば、肩の荷はひとつずつ軽くなる気がするけど、その分寂しいです。

でも、寂しいときは鏡を見ます。
私は母にそっくり。年取ってきたので余計似てきた気がします。
笑顔もそっくりで、やっぱり、笑ってしまいます。
早くに亡くなった父はハンサムだったので、昔は、父の方に似たかったな、とつぶやいたこともありましたが、
今は、母に似ていてラッキー☆と思っています。
(写真は今回処分した母のタンスです。記念に撮りました)

悲しいだけでなく、いろいろある

母の葬儀は終えたものの、その後のこともこんなに忙しいなんて、
知りませんでした。
一昨日は仕事もなく、ジムも休みだったので、必要なことをしようと思いました。
まず、母の形見の着物を私の和ダンスに入れるために、全然着ることのなかった私の着物を
リサイクルショップに売りに行きました。(悲しいほどに、安い買取価格でしたが)
それから、カメラショップで、スマホやデジカメで写した葬儀関連の写真をプリントしました。
銀行に行って、相続手続きの話を聞きました。
仏具店に行って、母の仏壇にはなかったご飯を入れる器と、マッチ入れを買いました。
それと、49日までに必要な戒名を入れた掛け軸のことを教えてもらったので、これはお寺に相談して
買うことにしました。
(今、我が家では夫の実家の仏壇と、母から引き継いだ私の実家の仏壇が並んでいます。
それは問題ないのだそうです)

これで疲れてしまい、そのあと、母のいた施設の片づけは別な日にすることにしました。
特に、銀行での相続の話が難しかった。

これから、私は役所で印鑑証明手続きをしなければならない、妹も同様。
そして、札幌市役所に母の戸籍謄本をすべて送ってもらわなくてはならない。
 ・・ああ、いろいろあるんだな。

私は、空き時間がある仕事だからいいけれど、フルタイムの人だったら、どんなに大変だろ、と思います。
悲しみだけに浸ってなんかいられない。
昨日、生徒の母親と話をしていたら、そのお宅でも3か月前にお姑さんを亡くされたそうで、
お嫁さんはもっと、大変だと聞きました。
実子である夫はずっと忙しくて、お嫁さんが手続きをしようものの、血が繋がってないと認められないことが
多いんだそうで。
携帯電話の解約さえできていない、と言ってました。
遠慮があって、銀行カードのパスワードも教えてもらってないし、預金は凍結されたので、
すべて立て替えているそうです。
夫婦で忙しくて、住んでいた家の片付けも全然できてない、って。
今の私なら、その大変さは想像できるので、一緒にため息をついていました。
私もちゃんとしなくちゃ、子供のために、と思っています。
残された人のために、預金口座などのデータはわかりやすくしておく(特にネットバンクは分かりづらいから)
これは、絶対に必要です。
私は大分前から、母の預金管理は任されていたので、それだけでも助かっています。

書き初め



一昨日が、書道の今年一回目。
一般の人は、普通の課題を書いたのですが、小学生は学校や
書道コンクールに出す書初めをしていました。
私もやりたくなって、課題提出の後、先生に書初めのお手本を作っていただきました。
 萬古長春
難しいです。まだ仕上がらず、来週も練習してみることにしました。
これは小学生のほど大きな紙ではないのですが、普通とは違うサイズの紙。
雰囲気が違います。やっぱり、新春。気合が入ります。
「春」が特に難しい。今、ここで写真を見ても、やはりバランスとれてないな、と。
来週はうまく書けますように。

母の思い出



今日が初授業でした。
机の上に置いてあったペン立てを見つけた中1くんが「かっこいいね!」とほめてくれました。
これは、母が昔作ったもの。皮工芸にこっていたときがあって、
バッグや、物入れをせっせと作っていました。
今、母のものを整理しているので、すぐに使えるものは私がいただいちゃっています。
ティシューやシャンプーやにんにくの漬物のような消耗品もあれば、
今はいているジャージのようなものも。何か身に着けているとうれしいのです。
母を身近に感じるのです。
このペン立ても母が愛用していました。
同じ写真の中のケータイは、これはもう使えません。仏壇に飾っています。
私がブログを開設したときに、家族カテゴリー2番目の記事は
「母がケータイを持った!」というタイトルです。
懐かしくて、読み直しました。前にも一度、再掲載しましたが。
今回も懐かしく、下の追記に載せてみます。この頃は、元気だったんだな・・
 <2007年1月22日の記事より>

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ブログの誕生日



新年のご挨拶が、まだでした。

2007年1月8日が、このブログの誕生日です。
LOVELOGから、FC2ブログに引っ越してきたのですが、
最初、何もわからないところから始めたブログがこんなに続いていることが
うれしい驚きです。
今年もよろしくいお願いします。

この写真はフランスの友達から送られてきたもの。
おいしいチョコレートや、楽しいゲームブックと一緒に。
お礼のメールを送ったら、
「お母様は、93歳の大往生、人生を楽しんでこられたとのこと、
Bravo!と言いたいです・・」と返信が来ました。
Bravo!って言葉に、私、笑ってしまいました。
劇場で、満足したパフォーマンスに対して観客が、Bravo!って言いますよね。
そうかぁ、人生、全うした母はブラヴォ!なんだ。
 素敵、ありがとう!

初七日でした

母が亡くなったのは、12月29日ですが、
1月4日が、初七日にあたるそうです。
7日目は、故人が三途の川のほとりに到着する日ともされています。
無事にこれからの安全な流れを進んでいけるようにお祈りするという意味もあるそうです。
それで、お坊さんに我が家に来てもらい、読経していただきました。
今夜は家族で回転寿司に行きました。みんなよく食べて、笑いました。
なんか吹っ切れた気がしました。
明日、息子は横浜に帰ります。

ここは日記のような場所なので、
これまでのことを記しておきたいです。
まず、母が亡くなったすぐ後、私は母が会員になっていた葬儀社に連絡をしました。
看護師さんがエンゼルケア(遺体の処置)をしてくれて、
母は病室でそのまま葬儀社からの迎えを待ちました。
娘がこちらに着いたときは、まだ体が温かくて・・

3時に迎えが来て、母を乗せた車の後を私は自分の車で、会場に向かいました。
その日は母は控室に安置され、私たちは帰りました。
死後二日目は、葬儀社との詳しい打ち合わせ。見積。細かくいろんなオプションを選んでいきました。
母が払った基本料金で賄えるのはわずかで、オプションがつくとどんどん
費用は高くなります。家族葬でひっそりと、と思っていましたが、
見積もり額は想像以上の高額でした。しかたないかな。
やはり、できるだけのことはしたかったし、母は相応のお金は残してくれたので。

死亡届や火葬手続きなど、葬儀社が進めてくれたのでこれは助かりました。
死後三日目は、湯かん。母の体をお風呂に入れて、きれいな着物を着せる儀式。
女性スタッフ二人で行って、私も、息子も手伝いました。
私は母の足を洗剤のついたスポンジで洗いました。
死者に触れるなんて、今まで経験がなかったけど、自分の母なら、こわくもなんともない。
いとおしい、という気持ちで、丁寧に洗いました。
冷たい足でした。おでこも、頭もどこも触ると冷たくて、悲しかった。
ちゃんと肌が見えないように、綺麗に行ってくれました。

死後4日目が元旦で、やっとお通夜。
こんなに遅くなったのは、年末の時期で、埼玉に住む妹が飛行機が取れなくて、
この元旦の朝にやっと、乗れたからです。
二つの家族、娘夫婦と、孫たちだけの静かなお通夜。
でも、久しぶりに会い、儀式の後は飲んだり食べたり、
息子たちが明るく、盛り上げてくれて、なんか不思議。
悲しいのに笑えるなんて・・と思っていました。
妹一家は、この葬儀場に泊まりました。
お風呂もあり、朝食も暖かくて、私たちも札幌でその体験があったので、
それがきっかけで同じ葬儀社の会員になっています。
母の施設からお香典が届きました。
私は施設での母の笑顔の写真や、スタッフさんからのいろいろなメッセージを貼り付けた
ディスプレイを作って、会場に展示しました。
母の写真や、詩吟の表彰状も飾ってもらいました。

翌日の告別式では近い親戚がやってきて、懐かしい昔話もして、
こころ和みました。
この人が来てくれたなら、あの人も招けばよかった・・という後悔もあり、
やはり、連絡は難しいと思いました。
『すでに、家族葬で送りましたが、今までのお世話になったことを感謝するために、
今日、お知らせします』というような電話を数件かけました。

新しいパソコンで、ささやかな母の思い出集を作ろうを思っています。
いくつかの俳句を載せて、母の写真も1枚載せて、
ごく親しい方たちに郵送したい。ゆっくりですが。
これから、様々な手続きのために、市役所、年金事務所、銀行などに行かなくてはなりません。
私は喪主で、その責任のためか、悲しみをあまり感じる余裕がなくて、
あまり、大泣きしていません。
今はするべきことをしているだけです。ふと寂しくはなりますが。
でも、死に接すると、私たちは生きている、ということは強く感じます。命のありがたみを。
母が教えてくれたことです。

母に、ありがとう!

もう、日付を超えましたので、一昨日になりましたが、
うちの母が亡くなりました。
その前の日は土曜日でしたが、午前の授業中に病院から電話があり、
呼吸が激しく、血圧が低いので危ない、とのこと、
授業は10分ほど残っていたのですが、生徒に許しをもらって病院に駆けつけました。
午後の授業もありましたが、それは来年正月明けに振替させてくださいと連絡して、
私の仕事は冬休みに入りました。

午後に医師との話し合いがあり、延命処置について聞かれ、母は望んでいなかったので、
点滴や心臓マッサージなどは「いりません」のところにチェックしました。
そして、できるだけ苦痛がなく楽に終えられるということを優先にして、意識が薄れていっても
かまわないとも言いました。
病室はナースセンター近くの個室に移りました。
後で聞くと、ここは最期を迎える人たちの部屋だそうです。
母は酸素吸入していて、食事はストップになりました。
それから、ほとんど意識がなくて、夜は私は同じ部屋に簡易ベッドを置いてもらい、
一緒に寝ました。
病院で夜を過ごすのは苦手ですが、そんなことは言ってられません。
母の呼吸の音が生きている証拠。ずっと、聞いていました。
何度かうとうとして起きたときは5時で、しばらくしてから私は一旦家に戻りました、
家の人は寝ていましたが、ぼんやりお茶を飲みながら、テレビをつけると
NHKで、「本屋のオヤジ」久住邦晴さんについてのドキュメンタリーを放映していました。
これはローカル番組だったのでしょうか。私の尊敬する、今はない久住書店オーナーの
生き方を追った、素敵なプログラムでした。
そして、朝食を作っているときにまた、病院から電話があり、血圧が下がっている、と。
急いで朝食とって、病院へ。
母は酸素マスクをつけて、はっ、はっと呼吸をしていました。
弱った心臓が最後の力をふりしぼっている感じ。
そして、ある時、ふっと、とりわけ大きな呼吸をした後にそれはやみました。しんとして、
私は横で本を読んでいましたが、すぐに母の顔を見ると、呼吸をしてなくて笑っているかのように
静かな顔でした。
あ、これが死なんだ。こうやって、唐突にふっと訪れるものなのだ、と。
そして、ナースコールを押しました。

医師と看護師がやってきて、医師が母の瞳孔を検査して、「11時39分、ご臨終です」と言いました。
この先生は土日の特別勤務医で、いつもの担当医ではなかったけども、
前日もていねいに母のこれまでや、私の気持ちを聞いてくれた方で、
その言葉は、しっくりと私の心にしみました。素直に宣告を受け入れました。
子供たちにラインで、笑っているかのような母の顔の写真を送りました。

それからいろいろしましたが、あまりおぼえてなくて、
本州に住む孫たち・・息子は前日に会えましたし、娘も、亡くなってからまもなく、
まだ体が温かいうちに病室に・・着くことができました。
ちゃんと、孫が帰省する時期に合わせて、
妹と私の仕事が休みになる時期に合わせてくれて、
新年あけに違う施設に移るわずらわしさを避けて、
 母は見事に逝ったのだと、思っています。

今は葬儀社との打ち合わせを終えて、母と作ったエンディングノートが
とても役に立っています。
遺影の写真も自分が一番気に入った着物の写真で母自身が用意したものです
とても綺麗。
年末はこんなになってしまったけど、最後の夜は一緒にいられたし、
寂しいけど、さわやかな思いに包まれています。
母は逝っても、私と共にいる、とも思える。
いろいろ教えてくれた。母にありがとう!おつかれさん、と言いたいです。
今まで、母と私のことをここで見守ってくださった方たちにも、ありがとうございます。

Merry Christmas!

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今日、母のところへ寄ると酸素吸入をしていました。
息が苦しそうだったので・・と、看護師さんが説明してくれました。
病院はクリスマスでも外来は普通に混んでいました。病室はときどき病人の入れ替わりがありますが、
母だけはずっとこのベッドで1か月、過ぎました。
この状況では、クリスマスもお正月もないな、それどころか、このまま悪くなってしまうかもしれないという
覚悟もしつつ、
今日は仕事の参観日であり準備もあって、ごめんねと、すぐに病室を出てきました。

午後は小学校低学年の可愛い女の子たちとクリスマスの工作をしたり、
保護者さんとのんびりおしゃべりをしたり(全然問題ないクラスなので)
夜は、もうすぐセンター試験を受ける高3の生徒と話し、励ましました。
この仕事に救われています。この子たちには希望がいっぱい。

プレゼントのお菓子をあげると返って来る笑顔にこちらも暖かくなります。
プレゼントをあげるって、うれしいこと。どんなに小さいものでも。

今日は寒かったですが、
みなさまも、暖かいひと時が訪れますように。

捨てられないもの



母を見ていて、いろいろ学ぶことが多いのですが、
片付け上手で、周りをすっきりして来た人で、私はとても助かっています。
それでも、札幌の実家からこちらに移るときは大変でした。
夫の車で、10回くらい通いました。片付けることは、ほぼ捨てることだと学びました。

それで、娘の私ですが、整理整頓が苦手、多趣味でものが多い。
今夜、生徒の都合で授業が休みになったので、その時間、急に片付けようと思い立ち、
押し入れにある手紙類を整理しました。
手紙、随分捨てました。友達、ごめんね・・とつぶやきながら、ゴミ箱へ。
今は亡き、夫の両親からの手紙は数通を残しました。
私は子供たちが小さいときに、家族新聞を作っていて、それを送っていた返事でもあります。
そして、一番多いのは私が書いた手紙です。夫あての。
夫が長期出張のときに、私はせっせと手紙を書いていました。
今は信じられないくらいしおらしい、優しい文面ですが、てれくさいしほとんど捨てました。
軽くなった感じ。この存在がどこか気になっていたので。2通のみ残しました。
  たまにはこういう気持ちも思い出さないとね。
それに同封された子供たちの手紙が、もう・・・可愛くて、(親バカです!)読みふけってしまいました。
今は十分大人の息子と娘ですが、こんな時代もあったのだ、と。
これ位ならかさばらないし、この子供たちの手紙だけはまだ捨てない、と心に決めました。
昔の自分に会える気がする。私、若かった。子育て、必死だった。
こんなだから、片付けもなかなかはかどりません。でも、しあわせなことです。