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マリー・アントワネットの処刑

2015.09.04
今読んでいる『世界が驚いた重大事件トップ20』
すでに、二つ紹介しましたが、
今日は、フランス革命を取り上げます。
 そのタイトルは、The Beheadng of Marie Antoinette

すでに、宝塚ファンにとってはおなじみの事件。
私は、月組公演1789の記憶がまだ新しいです。

マリーアントワネットは、神聖ローマ皇帝フランツ1世と、
ハンガリーとボヘミアの女王マリー・テレジアの娘。
わずか19歳で、フランス王妃となる。

 At first, the people of France were charmed by

Antoinetter's personality and beuty.

But this slowly wore off over the years.


(初めは、フランス国民は、アントワネットの気立てと美しさに魅入られていた。
しかし、その魅力は年月を経るうちに少しずつ失われていった)

 上の wore offについて、woreは wearの過去形。

wearは身に付けるのほかに、表す、すり減らす、掘る、疲れさせるなどの意味もあり、
いっぱい、使って消耗して擦り切れるようなイメージ。

 wear off は、擦り切れる、消滅する・・国民の愛情も消えてしまったとの状況が
わかります。

王妃の一番の仕事は子供を産むこと。
これは古今東西、変わらないようです。結婚7年経っても、子供のいない夫婦。
ルイ16世の趣味は狩りや錠前つくり。
自分に興味を示してくれない夫との生活で、寂しさから、アントワネットは
浪費をする。これが、当時貧しさにあえいでいた大衆の怒りを買った。

のちに、王子も王女も産むのだがそのときには国民の人気を失っていた。
ルイ16世はアメリカ革命を資金的に援助して、フランスの財政を危うくする。
廷臣たちはいつものように、国民の税金を上げることによってそのミスの穴埋めを
しようとしたが、国民はもはや、耐えきれなくなり革命が始まった。
王宮の多くのものが暗殺を恐れてフランスを去ったのちも、アントワネットは
ルイ16世を支えるためにフランスにとどまった。

夫に続いて、処刑される日、1793年10月16日、
アントワネットは髪を切り取られ、無蓋車でパリを連れまわされた。
シンプルな白衣のみをまとった彼女は、車から連れ出されると、
ある男の足を誤って踏んでしまった。

彼女の人生最期の言葉は、
  Pardon me,sir, I did mot mean to do it.
(ごめんなさい、わざとではなかったのです)

その後、アントワネットは歩いて台へと上がり、首を落とされた。


  *  *  *  *

印象的だった文章を要約してみました。
後ろ手をしばられたアントワネットのスケッチも添えられています。
当時、生活苦にあえいでいた人たちの憎しみの的になった王妃の生き様は、
そのあと、世界中で数多くの形で表現されています。

この前の月組公演で、哀しく美しく潔かった、ちゃぴの演技も思い出しながら、
今はあの当時とは別な尊厳を持って、見られているのだな、と。
時間の経過が、よりできごとを客観視できるようになり、ときには、
美化されることもあるのだと思ってます。


    * ニーナ・ウェグナー著「世界が驚いた重大事件 トップ20」を
       参考にして、書きました。

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