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「グランドホテル」を読む(前書き)

2017.05.06
読み始めましたが、まだ、数ページです。
なんとイントロダクションだけで、10ページあるのです。
そこには、作者のヴィッキ・バウムの生涯と、この作品の登場人物について
書かれてあります。
私は彼女にとても興味を持ちました。だから、今日はまだ本文には辿りついていないですが、
バウムという人について、印象的だった文章をいくつか拾ってみます。

  *NEW YORK REVIEW BOOKS Classicsより、
   GRAND HOTEL* を基に書いています。
ヴぃっき・baumuバウムは、オーストリア人で、オーストリアの首都ウィーンで生まれました。

裕福なユダヤ人の一人娘として育ったヴィッキ。
 
 Her childhood was dominated by a depresssed mother and
an authoritarian,hypochondaric father, who discouraged
her early forays into litarature.

(彼女の子供時代は、鬱を抱えた母親と、権威主義で心気症の父親に
 支配されていた、父親は彼女の早熟な文学への興味を快く思わなかった)


裕福ではあったけど、温かい家庭ではなかった。
ヴィッキはウィーンアカデミーでハープを学び、ハーピストを目指す。
権威主義の父親から逃げるように、18歳で結婚をする。
後で、離婚しますが、その元夫はジャーナリストで、彼の助けもあって
彼女は短編小説を出版します。
2回めの結婚は28歳の時、相手は指揮者。
彼女は、ベルリンの出版社で編集者として仕事をして、数多くの記事に接し、
それらが、この後のグランドホテルなどの設定に活きて来ます。
1929年、小説を戯曲化した、「GRAND HOEL」が成功し、翌年英語版が出て、
さらに、今度は映画が話題を呼び、アカデミー最優秀作品賞となります。

 ドイツでナチズムが台頭し、ヴィッキは編集者をやめて、家族とアメリカへ移住、
生涯、帰国することはなく、その後はハリウッド映画の原作など著作業に専念する。
作品は英語で書かれました。
1960年、白血病に冒されていたバウムは、ロサンゼルスにて、その生涯を終えました。

グランドホテルの出版について、
"I am a slow thinker・・, but a fast writer.
the wodden puppets grew flesh,arteries,veins,nerves.I pulled them
together in a hotel where their ways might cross"

(私はゆっくり考え、すばやくそれを文字にした。
この小説は、木製の操り人形に肉体や、精神を与えてそれぞれの
キャラが一つのホテルに集まり、みんなの人生が交錯するように書いてみたの)


音楽家としての演奏旅行で出会った人々(オットーはコーラス隊の中の
小柄な、ニーチェのようなひげを生やした男がモデルとか)、
出版社で目にした数多くの事件やエピソード、人物など、
すべての経験が、この小説の中で生き生きと活躍しだしたのでしょう。

この本で、 Noah Isenberg のイントロダクションの結びの3行より、
バウムが晩年、インタビューで語った言葉として、
"I didn't want always to be a girl who wrote GRAND HOTEL"
Today,however, it can be seen as a badge of honor.


 「私はグランドホテルを書いた女の子にはもうなりたくなかった、いつも」と
バウムは語ったが、
むしろ今では、グランドホテルは彼女にとって誇りの象徴であったのだろうと思われるのだ。


 以上のように訳してみたのですが、どうなのかな。
あったのだろう、と言うのは、そのイントロダクションを書いた時点で、バウムはもう亡くなっていたので。
バッジ(badge)の意味は「印」「象徴」
40代で人生最高の傑作を作ってしまったことが、ヴィッキにとって幸せだったのか、
その後も作家生活は20年以上続いていったのですが、グランドホテルを超える作品はなかった。
グランドホテルは、彼女にとってどんなに大切な宝物であったか。
   今夜はこのくらいで。

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