クラーク博士について、もう少し
この前、まなはるくんの、「コトバノチカラ」を見て、
『少年よ 大志を抱け』のクラーク博士に興味を持ちました。
道産子の私にとってはよく知っている名前、でも、詳しくは
ほとんど知らないクラーク博士。
少し前に、NHK秘話ヒストリアで、クラーク博士の特集を
録画していたのを思い出し、そのままにしてあったそれを見ました。
知らないことがいっぱいあった。
『少年よ 大志を抱け』のクラーク博士に興味を持ちました。
道産子の私にとってはよく知っている名前、でも、詳しくは
ほとんど知らないクラーク博士。
少し前に、NHK秘話ヒストリアで、クラーク博士の特集を
録画していたのを思い出し、そのままにしてあったそれを見ました。
知らないことがいっぱいあった。
その中で、印象的だったエピソードを書きます。
戦争について、です。
クラーク博士は南北戦争で戦ってます。
そこで、戦争のため荒れてしまった国土を思い、農業技術を研究することに
したのです。
アメリカに留学した新島襄も教え子の一人。
そして、その縁もあり、日本で農学校を指導することになりました。
滞在したのはわずか、8か月。
2年で教えることを1年で・・という計画。
クラーク博士には本国に愛する妻と、小さな子供たちがいた。
そして、約束の帰国が近くなった頃、
日本では西南戦争が起きた。まだ、政治は安定していなかった。
クラークは、自分の教え子たちが戦争に巻き込まれるのを恐れました。
それで、演武場の構想を練った。
武器をそろえ、そこで武器の使い方などを訓練するための場所であった。
かつて、クラークが南北戦争に参戦していた時、
戦い方を知らない学生たちが無残に果てる姿を見ていたので、
自分の教え子にはそうなってほしくなかったから。
その演武場が、今の札幌時計台だそうです。
ええ~って、感じです。
時計台は、札幌の中心部にある由緒ある建物ですが、
それほどに、インパクトある建物ではない、市民にとっては。
でも、こういう歴史を見て、私、一度もその中に入ったことはないのですが、
(30年、札幌に住んでましたが)今度、じっくり見学してみたいな、と思いました。
真那春人くんのおかげです。
戦争について、です。
クラーク博士は南北戦争で戦ってます。
そこで、戦争のため荒れてしまった国土を思い、農業技術を研究することに
したのです。
アメリカに留学した新島襄も教え子の一人。
そして、その縁もあり、日本で農学校を指導することになりました。
滞在したのはわずか、8か月。
2年で教えることを1年で・・という計画。
クラーク博士には本国に愛する妻と、小さな子供たちがいた。
そして、約束の帰国が近くなった頃、
日本では西南戦争が起きた。まだ、政治は安定していなかった。
クラークは、自分の教え子たちが戦争に巻き込まれるのを恐れました。
それで、演武場の構想を練った。
武器をそろえ、そこで武器の使い方などを訓練するための場所であった。
かつて、クラークが南北戦争に参戦していた時、
戦い方を知らない学生たちが無残に果てる姿を見ていたので、
自分の教え子にはそうなってほしくなかったから。
その演武場が、今の札幌時計台だそうです。
ええ~って、感じです。
時計台は、札幌の中心部にある由緒ある建物ですが、
それほどに、インパクトある建物ではない、市民にとっては。
でも、こういう歴史を見て、私、一度もその中に入ったことはないのですが、
(30年、札幌に住んでましたが)今度、じっくり見学してみたいな、と思いました。
真那春人くんのおかげです。